夏のジャケパンスタイル インナーに半袖はアリか?
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
本格的な夏がやってきております。気温が30℃を超える日が当たり前のような気候で、湿度も高く「ドレススタイルが厳しいな」と思う時も多く感じますね。
本日は所謂テーラードジャケット、ドレス系のアイテムに半袖インナーはアリか?というお話です。宜しくお願い致します。
先ず申し上げておきたいのは本来的にはジャケットのインナーに半袖のシャツや襟無しのカットソーを着るのは絶対にNGです。「ジャケットの袖からシャツの袖が覗いていなければならない」などというちゃちな話では御座いません。本質的には「ジャケットを保護するため(ジャケットに皮脂等が付着し劣化するのを避けるため)素肌とジャケットが触れてはならない」ということです。いつの間にか本質が抜け落ちて形骸化していることは非常に嘆かわしいですね。
しかし、カーディガンやハリントンジャケット等は半袖シャツやTシャツをインナーに持ってきても問題ありません。
「カジュアル」とは「略式」という意味です。既存のスタイルを崩したりリラックスさせたものとも言えるでしょう。燕尾服のインナーはドレスシャツ以外有り得ません。それもピケ素材でディティールにも制約があります。それを崩したディナージャケットですが、勿論ドレスシャツ一択です。しかし、燕尾服に比べると自由度が高まります。
更に崩してスリーピーススーツになるとオックスフォードシャツでも許容されますね。
今回の「インナーに半袖はアリか?」に対して「論外」で終わらせることができない理由はここにあります。「夏」の「ジャケパンスタイル」でとりわけ「カジュアルシーン」に於いてアリかナシかをお話して参ります。
ジャケパンスタイルに限定したのはスーツスタイルの場合は半袖シャツやポロシャツ、ましてやTシャツは考えられないからです。ネイビーモヘヤのスーツに半袖の白いポロシャツは合わないことが容易に想像できます。リネンやシアサッカーのスーツであっても長袖のポロシャツが限度でしょう。半袖ポロシャツが有り得るスーツがあるとすればリネン・シアサッカーのどちらかでしょうが、難しいと考えられます。
夏のジャケットは軽やかな仕立てや素材のものが多く、カーディガンのようにさらりと羽織ったり、カジュアルアイテムに近くなっています。インナーも合わせてカジュアルなものになっていきますが、「インナーのカジュアル化をどこまで許容するか」とも言えるでしょう。
クルーネックはNGです。到底許容できません。この場合半袖インナーとは半袖のポロシャツや半袖のシャツです。ジャケットのインナーのドレスダウンは半袖のポロシャツ・ドレスシャツが限度でしょう。
次はジャケット側の話です。モヘヤのブレイザーの場合は長袖のドレスシャツやポロシャツが合いやすく、半袖のインナーは厳しいと思われます。ジャケットもコットンやリネン、シアサッカーなどの素材が良いでしょう。そして仕立ては構築的なものではなく、裏地や芯地も極力排したもの、とりわけ袖裏地は素肌が触れ、べたつきや不快感を生んでしまうため無いものを選ぶのが重要です。
サイズ感もよりシビアに考えるべきでしょう。本質を理解しているかどうかは別として、「ジャケットの袖からシャツの袖が覗いていなければならない」ということは常識になっていますし、ルール自体は間違っていません。シャツが覗いていることによる視覚的な「締まり」が生まれない、袖丈等が少しでも大きいとオーバーサイズのものを着ているような野暮ったさが生まれてしまう等の弊害が生まれます。
結論と致しましては「夏のジャケパンスタイルに半袖インナーは条件付きでアリ。インナーは襟付きのものを選び、ジャケットは素材や仕立て、サイズ感に注意。そしてインナーとジャケットのドレス度を吟味すべき。」となります。
御付き合い頂き有難うございました。また次回、お会いしましょう。
安倍晋三元首相の逝去に際して
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
久方振りの投稿となりました。
安倍晋三元首相が選挙演説中に凶弾に倒れたという衝撃的な報道が飛び込んで参りました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
総理大臣経験者としては戦後初めて暗殺されたとのことです。
既に容疑者の身柄は確保されているとのことですが、参議院議員候補者、現職の議員、政治家の皆様は此度の一件に怯むことなく、活動を続けて頂きたいと切に願う所で御座います。
私は自民党並びに安倍氏の熱烈な支持者というわけではありませんし、首相在任時には思うところが無かったと言えば嘘になります。しかし、安倍氏の最期は非常に素晴らしく、後世に語り継がれ称えられるべきものでしょう。
安倍氏は演説中に2発の銃弾を浴びました。一発目の銃弾を浴びた後も演説を続けられたそうです。二発目の銃弾を浴びた際に倒れ、そのまま救急搬送されたそうですが、安倍氏の気概に唯々感服するばかりで御座います。板坂元先生の著書「紳士の美学」にはこうあります。「人の上に立ち、恵まれた地位にある者は、恵まれているからこそ、生命を賭けて責任を全うする。それが、ノブレス・オブリージというものだ。いつまでも地位にしがみついたり、いざという時に取り乱すのは醜くもあり、かつ下賤だ。」
戦後の総理大臣の中で、最も長くその地位にいた安倍氏だからこそ、自分の立場や
人の上に立つ者の振る舞いをわかってらしたのでしょう。元首相、政治家、その肩書に恥じぬ実に美しい最期であられました。
そして、昭恵夫人の立ち振る舞いも素晴らしいものでした。安倍氏が搬送された奈良県立医科大学附属病院に入られる際、背筋を伸ばし、取り乱すことなく、関係者に深く一礼してゆっくりと歩いて行かれました。長年連れ添った夫の緊急事態にも取り乱すことなく、冷静に品格を保つ振る舞いは実に立派で、ニル・アドミラリの信条に合致し、長年総理大臣を務めた男の妻に相応しいものでした。
ニル・アドミラリ:喜怒哀楽の情を抑え、表情に表さない処し方
しかし、安倍夫妻の実に美しい所作に水を差すが如く、岸田総理大臣はじめ、政治家の方々の会見、コメントは品位に欠けたものでした。
目に涙を浮かべたり、怒りを露わにしたりと、安倍夫人のような気品は感じられず、安倍氏の見事な最期をふいにするようで、残念でなりません。
人の上に立つ者の矜持というものを今一度学んで頂きたいと思います。
私は普段、服飾についてのお話を投稿致しております。しかし、ただの服好きにはなりたくありません。いくら立派な服を着ていても着ている本人が磨かれていなければ何の意味もありません。赤峰先生も、良い服を着て満足して威張り散らしているようではいけないとよく仰います。正しくその通りです。安倍氏や昭恵夫人のような作法を弁えることが何より重要であることを再度申し上げたいと思います。装うということでは、表面しか変えることができません。作法と言うものは内面です。服を着る自分自身を磨き上げるということが肝要なのです。赤峰先生が仰るように、衣食住すべてに気を配り、自分を磨くことの大切さを安倍夫妻は我々に改めて教えて下さいました。
選挙期間中にこのような事件が起きてしまいましたが、政治家とは時に自らの命も顧みずに大義の為に戦う素晴らしい存在であるということを再認識しました。政治の腐敗が叫ばれている昨今ですが、安倍氏の最期は正しく一服の清涼剤で御座います。
政治家の皆様はどれだけ血が流されようと、どれだけの命が奪われようと、安倍氏のように大義の為に戦って頂きたい。又、我々のような一般の国民であっても、有事の際には血を流す覚悟をし、死すら恐れぬ日本国民の誇りを忘れてはならないと改めて感じました。
最後になりますが、安倍氏の御冥福をお祈りすると共に、安倍氏の見事な最期、昭恵夫人の美しき振る舞いに敬慕の情を申し上げます。
御付き合い頂き有難うございました。また次回、お会いしましょう。
昼か夜かは重要か・ディレクターズスーツとは何者か
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
本日は「昼か夜かはそこまで重要か」というお話です。モーニングは昼、燕尾服は夜、など18時を境に礼装に変化があるという話は一度は耳にしたことがあると思います。これが間違いかと言うと、間違いではありません。しかし100%正しいかと言うとそうでもありません。個人的に、「昼か夜か」より重要なことがあると思っておりますので、そのお話です。
もうひとつの「ディレクターズスーツとは何者か」につきましては、おまけ程度のお話ですので、まずは「昼か夜かはそこまで重要か」に御付き合い下さい。
モーニングか燕尾服か
昼か夜かを重視する場合、正礼装で結婚式(19:00~)を執り行うのなら、「19:00は夜にあたるから燕尾服だな」と言う考え方になります。「内閣組閣の時は夜なのにモーニングを着るなんて」と怒る方はこうした考えなのでしょう。しかし、私個人としては、
「昼か夜か」よりも「儀式か宴か」を重視すべきだと思っています。そのため、時間帯は関係なく結婚”式”ならモーニング、内閣組閣も式典・儀式なのだからモーニングで正解と言うことになりますね。
服飾後進国と言われる日本に於いて珍しい正解でした。
結婚式の話に戻りましょう。宴か儀式かを重視する場合、結婚式は儀式の礼装、スーツはグレーで間違いないでしょう。ですが、このように機械的に覚えてしまうのは宜しくありません。ゲストの立場から見ると出席するのはほとんどの場合披露”宴”でしょう。神仏に結婚を誓う結婚”式”は親族だけで執り行われる場合がほとんどです。披露宴のみの出席であれば、宴の礼装、ネイビースーツが相応しいでしょう。本来、ボウタイは宴のみ、結び下げ式のネックウェアは儀式のみですが、略式の場合は宴に結び下げ式のネックウェアで出席しても良いかと思います(流石に儀式にボウタイは厳しいか...)。
結婚式と披露宴の両方に出席する場合、着替えの必要があります。現代に於いてそこまで気にする必要はないと言われればそれまでですが、本来の形を理解しておく必要は十二分にあるでしょう。
ネイビースーツとグレースーツについてですが、グレーは儀式、ネイビーは宴と覚えると良いでしょう。しかし、スーツ(略礼装と平服の中間あたりとして)で出席可能な程度のフォーマル度であればそこまで気にする必要はないかと思います。
又、そこまで気にする必要のないこぼれ話ですが、儀式の場合は光沢のある生地はNG、細かなストライプ等の柄は案外許容される、宴の場合は生地の光沢は多少であれば許容されるといった傾向があります。覚えておいて損はないでしょう。
キャップトウかプレーントウか
こちらも儀式か宴かで判断しましょう。キャップトウは儀式用、プレーントウは宴用です。
キャップトウの横一文字の縫い目は軍靴が補強用の革を縫い付けたことから来ている為です。
ホールカットについては、スーツ(略礼装と平服の中間として)の場合、着用しても問題ないでしょうが、ディナージャケット以上の礼装に合わせるのは避けた方が無難かと思われます。ジョンロブの公式見解も「ビジネスに最適」とのことですので、格式高い場面では避けることをお勧めします。
どのような靴であれ、よく磨かれていることが大前提です。
オニキスか白蝶貝か
カフリンクス等の小物のお話です。これは例外的に昼か夜かで選ぶべきだと思います。何故なら「白蝶貝は昼、自然光に映えるように」「オニキスは夜、照明に映えるように」という理由で選ばれているからです。
モーニングや燕尾服をパッケージとして捉え、モーニング×オニキス、燕尾服×白蝶貝という”ねじれ”を感じる方もいらっしゃるとは思いますが、例えば喪のシーンに於いてはモーニングであれ何であれオニキスのカフリンクスです。喪という宴は存在しない世界に於いてオニキスを着用しますので、オニキス=宴という等式は成立しないでしょう。通夜や告別式等の儀式に於いて白蝶貝のカフリンクスを着用しない以上、
白蝶貝=儀式という等式も成立しないはずです。ここはやはり、儀式か宴かは一旦端に置いて、昼か夜かで選ぶべきでしょう。
ディレクターズスーツとは何者か
「昼(儀式)の準礼装」と言えば?というアンケートを日本人男性100人に取ったとして、恐らく8割の方は「ディレクターズスーツ」と回答されるでしょう。
正直申しまして私はディレクターズスーツと言う言葉があまり好きではありません。伝わらない場合が多い為渋々使っています。ディレクターズスーツとは純然たる和製英語です。和製英語だから使いたくないわけではありません。クレリックシャツは普通に使います。ディレクターズスーツという言葉の違和感が嫌で使っていないのです。
サックスブルーのシャツを「ワイシャツ」と呼ぶ違和感に近いでしょうか。「これはカラーシャツだ」と言いたくなるのと似たような感覚で「これのどこがスーツなんだ」と言いたくなります。ディレクターズスーツと呼ばれているものは、ブラックのジャケット・シルバーグレーのウエストコート・コール地のトラウザーズで構成されており、”揃って”いないのです。スーツとは揃っているの意。スリーピーススーツも「三つ揃え」。極論を言えばスウェット上下もスーツなのです。
「ディレクターズスーツと言う言葉が適当でないのはわかったが、何と呼べばいいのだ」と言う声が聞こえてきそうなのでお答えします。フランス語で「ベストノワール」若しくは英語で「ブラックジャケットアンドストライプトラウザーズ」です。主にベストノワールと呼ばれているようです。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、「フレンチカフス」と同じ匂いがしますね。もともと使用人の服をやんちゃな貴族の子息がお召しになって広まった経緯があるらしく、「本物の貴族は着ない」というような扱いだった時代もあるそうです。現代に於いてはしっかりした礼装ですので問題ありませんがこんな話も服飾を楽しむ醍醐味でしょう。
脱線しましたが、ディレクターズスーツではなく、ディレクターズジャケットなら良いのだろうと思います。宴の準礼装のことはディナースーツでも良いかもしれません。
御付き合い頂き有難うございました。また次回、お会いしましょう。
ネクタイの長さについて
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
表題の「ネクタイの長さ」とはタイドアップした時の大剣がどこにあるべきかということです。「ベルトの穴部分でしょ」と覚えている方も多いのではないでしょうか。私もはじめはこのように覚えていましたが、ベルト着用が前提の基準がクラシックなスタイルにふさわしいのかと疑問を持ちました。ブレイシスでトラウザーズを吊り上げたときも存在しないベルトを想像して大剣を調整していましたが、赤峰幸生の大剣はウエストバンドよりも下部分までありますので、この基準は目安に過ぎないのでしょう。
「ベルト着用の時はベルト穴辺りに大剣を持ってくれば良いとして、ブレイシスで吊り上げる時の大剣の長さはどうすれば良いのだ」と考えましたが、ブレイシス=ウエストコート着用と言うことを考えると、「ネクタイの長さなど考える必要はない」という身も蓋もない結論に至ります。大剣が長めであればクラシック、短めであれば軽快、という印象を与えますので、ブレイシスで吊り上げるクラシックなスタイルでは長めが良いでしょう(ジャケットの前裾からはみ出ないように調整するが良し)。
「個人の裁量」というなんとも不明瞭な答えが出ましたが、大剣が長すぎてジャケットの前裾からはみ出ないように、逆に短すぎてシャツの前立てが見えてしまわないように、全体的なスタイルを鑑みて調整するのが良いでしょう。
明確な答えやルールを作らないことは時に大切です。服飾を「点」で捉えてしまうと全体が崩れ、「木を見て森を見ず」状態に陥ってしまうことがあります。
ルールや基準を求めるということは、「これさえ守っていれば良い」と脳死状態に陥る危険性を孕んでいます。ルールを守るにしても源流をしっかり理解し、意味を考えることが肝要であると言えるでしょう。
御付き合い頂き有難うございました。また次回、お会いしましょう。
段返り3つボタンジャケットの源流を知る・ベントとポケットの違和感について
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
本日は「段返り3つボタンジャケットの源流を知る」「ベントとポケットの違和感について」源流を知るシリーズ3回目と独り言の2本立てです。
段返り3つボタン
いきなり曖昧な話で申し訳御座いませんが、このスタイルについては明確な情報が少ないです。ブルックスブラザーズが開発したこと、アイビーリーガーと密接な関わりがあることは間違いありません。
そもそもクラシックなジャケットになるほどフロントボタンの数は多くなります。段返り誕生当時は上中2つ掛けの3つボタンが主流でした(4つ等、3つ以上のものもあっただろうが)。そしてアイビーリーガーたちの間では成金趣味への反発があり、「肥えた豚より痩せたソクラテス」がスローガンのようになっていたのです。そのため、一番上のボタンがかけられないほど発達した胸板を表現する為、段返り3つボタンが生まれました。
単純にかけるボタンが減る簡略化されたジャケットにも関わらず、Vゾーンがみだりに広くならない為、主に英国で好まれます(シャツ(下着)を見せることを好まない為)。「どうせ一番上のボタンをかけないのなら」と2つボタンが生まれ、イタリアで好まれました(シャツを見せることに抵抗が無い為)。
各国の傾向をまとめると
米国(アメトラ)→3つボタン上中2つかけ
米国(アイビー)→段返り3つボタン
伊国→2つボタン
英国→段返り3つボタン
といった具合でしょうか。しかし、現代に於いてはこれらの傾向も薄れ、2つボタン全盛となっています(クラシック回帰で段返りも追い上げてきている)。
ベントとポケットの違和感
私中乃上は以前、サイドベンツとスラントポケットという組み合わせに違和感がありました。「センターベント・スラントポケット=乗馬」、「サイドベンツ=剣を携える」という固定観念が強すぎた為です。しかし、英国カントリージャケットはサイドベンツとスラントポケットの組み合わせが多く、これについて考えるようになりました。スラントポケットは乗馬の為だけでなく、ポケットに入れた銃弾等の物が落ちないように、手を入れやすいようにと言う意味もあります。一問一答的な考え方が招いた違和感です。似たような経験をしたことのある方は多いのではないでしょうか。
多面的に物事を見ること、答えは1つではないと意識すること、これらをしっかり意識すれば間違いを防ぐことができます。ふと思い出したので記事にしました。
御付き合い頂き有難うございました。また次回、お会いしましょう。
ボタンダウンシャツの源流を知る
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
本日は「ボタンダウンシャツの源流を知る」で御座います。源流を知るシリーズ2回目。中乃上の独り言シリーズとして扱うか迷いましたが、源流を知るシリーズと致します。そのため、この2つのシリーズの中間になり、雑談多めになるやも知れません。いつもそうだろう中乃上
ボタンダウンシャツとは
最近特に見かけることが多くなったボタンダウンシャツですが、襟の先にボタンホールを付け、シャツ本体に襟を固定したシャツです。今更説明の必要もないでしょうが、その源流となると話は別。「ポロ競技のために生まれたシャツだ。転じてタイドアップやビジネスシーンには適さない。」などとよく言われますが、実際はどうなのでしょうか。
「ボタンダウンシャツ=ポロ競技」は間違いでない
「ボタンダウンシャツはポロ競技のためのシャツであり、スポーティなもの。」この認識は間違っています。ボタンダウンシャツ=ポロ競技という等式については中らずと雖も遠からずと言った具合です。ブルックスブラザーズでは今でもボタンダウンシャツを「ポロカラー」と呼びます。
ボタンダウンシャツはポロ競技から着想を得たブルックスブラザーズが開発した”ドレスシャツ”です。スポーツの為のシャツではありません。ただ、インスピレーションの素がスポーツですから、スポーティな印象を与えることは間違いなく、襟を固定するための機能的なボタンがついたシャツですので、フォーマルには適さないでしょう。タブカラーシャツも同じ理由でフォーマルには適さないでしょうが、ピンホールシャツは機能的なカラーバーを装飾品まで押し上げた印象がありますので良いのかなと思っております。中乃上の依怙贔屓なのでは...と中乃上自身も思います。
※中乃上はピンホールカラーシャツが大好きです。
脱線を致しましたが、ボタンダウンシャツはドレスシャツです。「ポロ競技のためのスポーツシャツだからビジネスで着るな!ネクタイをするな!」と言う方が如何に浅はかかわかりますね。
ボタンダウンシャツの誕生
「ボタンダウンシャツはポロ競技から着想を得た」と申しましたが、これは当時のシャツ事情からお話するのが良いでしょう。当時のシャツはとにかく糊付けが硬く、とりわけカラーとカフスはプラスチックのようでした。簡単に洗濯ができない時代に汚れを防ぐ知恵。カラー部分は取り外しができ、釜で煮て糊と汚れを落としていました。ハードボイルドの語源はこれという説があります。ハード(硬いカラー)ボイルド(茹でる)柔らかい芯地のシャツが全盛の時代に時代錯誤ともとれる硬いカラーのシャツを着る頑固さを表した言葉ですね。固ゆで卵の説が一般的ですが、このような話も面白いのではないでしょうか。
脱線を致しました。取り外しのできる糊でガチガチのシャツが当たり前の時代、ポロの競技者達はカラーを取り外せない芯地の柔らかなシャツを着て競技をしていたのです。観戦していたブルックス4兄弟(兄弟のうち誰かは不明)はその当時としては画期的なシャツに衝撃を受けました。しかし柔らかい襟はポロの激しい動きや風でパタパタとなびいてしまうため、襟を縫い付ける競技者もいたそうです。襟がみだりに動かないようにしたい...そうしてボタンダウンシャツが生まれました。
ボタンダウンシャツはビジネスで着用してよいか
ボタンダウンはドレスシャツです。タイドアップする前提で作られていますし、ビジネスで着用してはいけない道理はありません。先程も申しました通り、フォーマルには適さないでしょう。
しかし、生みの親はブルックスブラザーズ。富裕層のために作られ、富裕層の間で流行しました。監査担当の方が現場に出向く際、超現場主義でホワイトカラーに反感を持つブルーカラー職員から「お高くとまりやがって」と謂れのない悪感情を向けられる危険性がないわけではありません。又、ボタンダウンシャツを認めない思慮の浅い方も多くいらっしゃいます。そのような方々に合わせる必要もないでしょうが、教養のない方は得てして自分の正しいと信じるもの(根拠なし)以外認めないきらいがありますので、無用なトラブル回避のためにも畏まった場などでは着用しないのが無難かもしれません。又、生みの親である米国と、アメリカナイズされている日本では当たり前のように着られていますが、欧州ではそこまで一般的ではありません。頭に入れておきましょう。
ボタンダウンシャツは非常に優秀
ボタンダウンシャツは首元にアクセントを与えてくれますし、襟のロールが美しく、タイドアップしてもアンタイドでもしっかり決まります。シャツの襟がジャケットの外に飛び出てしまうことも、トランクにシャツを詰める場合も襟が折れ曲がってしまうこともありません。非常に機能的なドレスシャツです。ただ、個人的にはカフリンクスは似合いにくいのではないかと思います。下着(シャツ)のボタンを見せたくないという思いからカフリンクスが生まれたからです。襟元のボタンは必ず露出しますし、機能とは別の目的があるカフリンクスと、機能的な襟のボタン...絶対に合わせていけないとは言いませんが、非常によく似合うアイテムとは言い難いでしょう。少なくとも私は意識的に避けています。
カジュアルスタイルに於いても活躍してくれます。シャツ1枚でもジャケットを羽織っても、セーターをお召しになっても良いでしょう。非常に優秀なシャツです。
久方振りの源流を知るシリーズ。独り言シリーズとの境界が分かりにくい気もしますが、御付き合い頂き有難うございました。また次回、お会いしましょう。
アンボタンマナー考
初めましての方はお初にお目にかかります。中乃上 忠助(なかのうえ ちゅうすけ)と申します。そうでない方はいつも有難うございます。中乃上でございます。
本日も中乃上の独り言にお付き合い頂ければと思います。独り言のシリーズは雑談になったり考察になったりHow toになったりブレが大きいですが、そこまで含めて独り言ということで御容赦下さい。
アンボタンマナーについてのお話です。ジャケット・ウエストコートの一番下のボタンと、「着座の際はフロントボタンを開け、起立の際は前ボタンを閉める」というルールについてもお話しできればと思います。
※アンボタンマナー(着座)について重要な項目が抜けておりましたので、加筆修正致します。
アンボタンマナーのはじまり(一番下のボタン)
現代に於けるジャケット・ウエストコートの一番下のボタンは飾りです。一番下まで留めると不格好なしわが寄って美しいシルエットが損なわれてしまいます。
ジョン・F・ケネディ米国代35代大統領は一番下のボタンを留めていましたが、これはジャケットの裾部分からシャツが見えることを嫌ったケネディ氏が一番下のボタンを留める前提で仕立てたスーツを着ていたからです。これがまかり通って大統領になれたのは米国というお国柄でしょうね。
アンボタンマナーはパーティー会場でウエストコートの一番下のボタンをかけ忘れていたジョージ四世をフォローするためにボーブランメルが同じようにウエストコートの一番下のボタンをはずしたことに始まります。御存知ボーブランメルですから、パーティーの参列者がこぞって真似して広まった、とのことです。他にも節制不足の王侯貴族がゆったり着るために一番下のボタンをかけなかった。という説もあるようです。
ダブルブレストに於いてはアンボタンマナーは存在しないという認識です。6つボタンであれ4つボタンであれ、すべてのボタンを留めても差し支えありません(ジャケットによって1つかけや2つかけ等かけるボタンの数は変わるため、臨機応変に対応)。
シングルブレストのウエストコートは、6つボタンなら一番下のボタンは留めず、5つボタンなら一番下までかける前提で作られている場合がありますので、ウエストコートに合わせて対応します。
ジャケットについてですが、ダブルブレストはウエストコートと同様で良いでしょう。シングルブレストの場合は、2つボタンなら一番下のボタンを留めず、一番上のボタンだけを留める。段帰り3つボタンなら真ん中のボタンだけを留める。3つボタンなら一番下のボタンだけを外す。以上のように覚えておけば問題ないと思います。
着座の際はボタンは外す?
「着座の際はフロントボタンを開け、起立の際は前ボタンを閉める」このルールは間違いではありませんし、実際私もそのようにしています。ですが、この言い方だと本質が伝わりません。盲目的にこの文言だけを信じてしまい、したり顔で話したりすると恥をかきかねません。どのようなことでも言えますが、文言だけ、表面だけHow toのようにルールを守っていたのでは何の意味もありません。その理由、源流を知り、納得したうえでルールを守ることが重要です。
「着座の際はフロントボタンを開けるのだ!」と鼻息の荒い方、「着座の際はフロントボタンを開ける、立つときに閉める。この動作がスマートならこなれて見えるし、女性にももてますよ」なんて浅はかな方も多くお見掛けします。このルール自体は間違っていません。むしろ正解です。しかし本質ではありません。大事なことは他にあります。
まず大切なのは「シャツは下着」ということです。これが源流と言って良いでしょう。下着をみだりに見せたくはありませんね。見せたい方もいらっしゃるかもしれませんが、一般的には見せたくないものです。そのためシャツを見せるのは襟もとと袖口の1~2cmだけです。ウエストコートは少しでも詰まったもの、ジャケットもフロントボタンが多いものがクラシックです。ウエストコートが省略されている現代では、ジャケットのフロントボタンを開けるとシャツ(下着)が丸見え。「ウエストコートも着ずにジャケットのフロントボタンを開けて下着を見せるなど言語道断」基本的にはこの考え方です。しかし、高い位置に腕を上げたり、着座の際は生地が突っ張り服が傷んでしまいます。そのため、特例でもってフロントボタンを外すことが許されているのです。
「着座の際は前ボタンを開け、起立の際は前ボタンを閉める」という言葉で本質に近いのは下の句ですね。立っているときにフロントボタンを開けることは許されません。「あの野郎座っているのにフロントボタンを閉めたままだ!天誅!」という方がいかに浅はかかわかりますね。
そのため、座った状態でフロントボタンを閉めていても良いのです。服を長持ちさせる知恵、ということですね。
赤峰先生も動画で「皆さん(視聴者)に向けて話をする時、着座とはいえフロントボタンを閉めると気分が引き締まる。だから私はフロントボタンを閉めたままお話している。」と仰っていました。流石赤峰先生....
さて、ここからはウエストコートや、(カジュアルスタイルに於いて)ニットを着用した場合のお話です。「ウエストコートを着ているのだからフロントボタンを全開にしてウエストコートを見せるのがマナー」という話も聞いたことがありますが、よくわかりませんね。ウエストコート着用の場合、ウエストコートが下着を隠してくれるので、立っていてもフロントボタンを外して差し支えません。フロントボタンをしっかり留めるのが正しいことに変わりはありませんが、ウエストコートやニットを着ているのなら、起立時にフロントボタンを外しても構いません。それ以外は先程申し上げた通りです。
今までルールを説明してきましたが、まずはルールを知ること、理解すること、守ること、崩すこと。この順番が大切です。初めからルールを崩すようならその人の人生も崩れていきます。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、たかが服、されど服。程度の差はあれ、人生に影響を与えます。稀代の洒落者であるエドワード七世は型破りな服装をして、新たなスタンダードを生み出してきた人ですが、それは型(ルール)を知っていればこそ。ルールを熟知してきたから、崩して良い幅「崩ししろ」を理解しており、無秩序な着崩しでなく、新しい型を生み出せたのです。まずは徹底して型を守り、理解する。そして自らの感覚を養い、「崩ししろ」を理解する。そのうえで崩し、自分のスタイルを確立する(崩す必要がなければそれで構わない)。これを意識できているかどうかが、大きな違いを生み出します。
私が偉そうに講釈を垂れるより、赤峰先生の動画を御覧頂いた方が良いでしょう。
下は、赤峰先生が私の質問に答えてくださった動画です。
また別の角度からのお話です。板坂元先生は著書の中で「椅子に座るときは背広のボタンをかけてはならない」と仰っています。
「赤峰幸生・板坂元両先生のどちらを信じればいいのだ...」と私の人生に於いて最も尊敬すると言っても過言ではない2人の人物を天秤にかけるような思いがしました。
しかし両先生を天秤にかけるようなことはしなくてよいのです。板坂先生は、着座の際にボタンをかけていると服にしわが寄ったりして不格好だからボタンはかけてはならないと仰っています。上記のような「あの野郎座っているのにフロントボタンを閉めたままだ!天誅!」と何も考えずに叫ぶ短慮の俗物とは格が違います。
では赤峰先生は間違ったことを仰っているのかと言うとそうではありません。赤峰先生の御言葉には万に一つも間違いは御座いません。ジャケットのつくりが関係して参ります。昨今のスーツは普通に立っているだけでしわが寄るほどタイトなフィッティングのものが珍しくなく、それが格好良いとされています。そのようなフィッティングは本来的ではないことは申し上げるまでもありません。タイトなジャケットでボタンをかけたまま椅子に座れば窮屈この上なく、不格好でしょう。笑った拍子にボタンが飛んでいくやも知れません。ここまでタイトなフィッティングでなくともゆとりの少ないジャケットであれば着座の際にボタンを外すべきでしょう。しかし、赤峰先生のようにクラシックで正しいゆとりのあるジャケットの場合、必ずしも外すべきとは言い切れないと思われます。ダブルブレストの場合はボタンを外す必要は一切ないことからも、「しわが寄る・生地が突っ張る等の服への負担が無い(少ない)」、「着座の際にボタンをかけたままでも不格好にならない」といった点をクリアできていれば着座の際にボタンをかけても良いと言えるでしょう。
※板坂先生は服装に無頓着な国会議員を窘めるために「椅子に座るときは背広のボタンをかけてはならない」と仰っていました。
知識と言うものはただ受け取るだけでは事故を起こしてしまいます。板坂先生と赤峰先生、どちらの御言葉を先に頂戴したにしろ、受け取るだけの姿勢では「○○先生はこう仰っていたのに...」と大先生相手に不信感を抱いてしまったり、こともあろうに避難してしまったりと言った大事故が起きます。大先生の御言葉を謙虚に頂戴する姿勢を持ちつつ、(それを否定することは無いという大前提で)自ら考える必要があるわけです。
この辺りはショウペン=ハウエルから学ぶべきでしょう。
脱線に次ぐ脱線。これも含めて独り言だと御容赦下さい。
御付き合い頂き有難うございました。それではまた次回、お会いしましょう。